2016.6.8 ブルーレイ&DVDリリース

予告編


ラッセルからの手紙

親愛なる皆様へ この度「ディバイナー 戦禍に光を求めて」という心打つ物語を皆様にお届けすることができて光栄に思います。出会った瞬間から、私の母国(オーストラリア)の歴史における重要な出来事の描き方や、その脚本全てに深く感銘を受けました。息子2人を持つ父親として大きな感動を覚えました。初めて脚本を読み終えたとき、私にはこの物語を伝える義務がある、と確信しました。この物語は戦争や戦いの話ではありません。これは戦後の後遺症の話です。失われた命、混沌・混乱、そして人々が同じ魂を持つ人間として、目標を共有し、立ち直り、そして再び愛を見つける物語なのです。心より、ラッセル・クロウ

イントロダクション

2014年度 オーストラリア アカデミー賞作品賞 ほか2部門受賞(助演男優賞・衣装賞)

ラッセル・クロウでしか、この映画を描くことも演じることもできなかった―

ラッセル・クロウ初監督・主演最新作となる本作は、第一次世界大戦中に13万人以上の戦死者を出したトルコ・ガリポリの戦いから4年後、生死も分からない3人の息子達を探し出すため、オーストラリアからやって来た父親の底知れぬ喪失感と圧倒的な愛を描いた叙事詩。実話をベースにして、ラッセルでしか演じることのできない哀愁漂う父親像を見事に体現するとともに、トルコ・イスタンブールをはじめとする壮大なロケーションを舞台に、甚大な戦死者を出したガリポリの戦いをオーストラリアとトルコの双方の視点から忠実に描いている。さらに、オルガ・キュリレンコが見事なトルコ語を披露する妖艶な女性を演じるなど、実力派俳優が脇を固める。尚、本作は2014年度オーストラリア・アカデミー賞最優秀作品賞ほか主要2部門(助演男優賞・衣装賞)を受賞。

ストーリー

1919年トルコ。愛する息子達を探し出すため、異国の戦地に父が降り立った―

水脈を探し当てる職人(ディバイナー)のオーストラリア人・ジョシュア・コナー(ラッセル・クロウ)は、ガリポリの戦いから4年後、戦争で行方不明になった3人の息子たちの最期を知るため、トルコへと旅に出る。故郷から遥か遠い異国の地での捜索は困難を極めるが、コナーの決意は決して揺らがない。そして、イスタンブールで宿を営む美しい女性アイシェ(オルガ・キュリレンコ)や、息子たちと戦ったトルコの英雄・ハーサン少佐(イルマズ・アルドアン)らの助けを借りながら、コナーは他者を許すこと、そして自分を許すことを知り、ついには一縷の希望を掴む。迫り来る危険に立ち向かい、果たして愛する息子を捜し出せるのかー

キャスト&スタッフ

プロダクションノート

物語について 〜ガリポリへの道のり〜

オーストラリアの歴史を調べている最中、メルボルン在住の作家兼脚本家のアンドリュー・アナスタシオスは、一枚の手紙に出会った。その手紙の筆者はシリル・ヒューズ。第一次世界大戦の直後、廃墟と化したガリポリにおける帝国戦争墓地の建設に重要な役割を担った中佐である。その手紙の中に、興味をかき立てる一文があった。「ある年配の男が、息子の墓を探して、はるばるオーストラリアからここへやって来た。」この一文が、底知れぬ喪失感と圧倒的な愛を描く力強い物語を生む源となった。

ガリポリはこれまでも、オーストラリアのみならず世界中で映画化されてきた題材だ。オーストラリアでは、1915年の上陸作戦の戦闘を描いた映画が2本製作されている。だが、戦闘を中心に描くのではなく、息子を探す1人の男の愛情と悲哀を描く映画は、これまで製作されてこなかった。『ディバイナー 戦禍に光を求めて』は、息子を探す男の旅をスタート地点として、より広い視野で、ガリポリの戦いとその後を見つめる映画だ。実際、映画はオーストラリア・ニュージーランド軍のシーンから始まるのではなく、オスマン帝国軍のシーンで始まる。オスマン帝国軍には、連合軍と同様、戦闘経験が豊富な兵士たちと怯える少年たちが入り交っていた。その双方にとって、戦闘は計り知れないトラウマとなったのだ。

1919年 〜その時代、その場所〜

ジョシュア・コナーは、新しい世界がつくられていく中、古い世界の面影の中で息子を探している。彼の周囲は戦争で荒廃したが、そこから新しい世界が生まれていく。1918年の世界は、第一次世界大戦の終結に揺らいでおり、かつての大帝国の崩壊を目の当たりにしていた。600年以上続いたオスマン帝国は分割占領され、現在のトルコ共和国へと姿を変えていった。ジョシュア・コナーが探求することとなるコンスタンチノープル、現在のイスタンブールは、4つの帝国時代を通して、世界で最も重要な都市のひとつであった。またそこは、シルクロードを支配するための戦略的な位置、かつ黒海と地中海をつなぐ唯一の海上ルートという利点のために、何世紀にもわたり、戦いの舞台となってきた。

1918年10月の条約は、勝利した連合軍に、ダーダネルス海峡とボスポラス海峡を守る要塞を占領する権利を与えた。英国軍は、コンスタンチノープルを占拠する意図はないとしたが、11月になり、フランス陸軍の旅団がコンスタンチノープルに侵攻。続いて、英国軍、フランス軍、イタリア軍、ギリシャ軍の戦艦から地上部隊が派遣された。こうして、コンスタンチノープルの占拠は始まり、その後4年間続いた。1919年になり、国際連盟が設立された。2月には、ソ連軍がウクライナを占拠するために侵攻するという、今日にも余波を残す世界的な出来事が起こる。ロシア軍、英国軍、イタリア軍、フランス軍、ギリシャ軍、米国軍がアナトリア半島を求めたが、トルコ人の間にこれに反対する抵抗運動が起こり始めた。1919年5月には、エヴゾン連隊率いるギリシャ軍が西アナトリア地方を占拠。スミルナに上陸したギリシャ軍が進軍すると、トルコ独立戦争が始まった。第一次世界大戦中に陸軍士官を務め、トルコ革命における指導者となったムスタファ・ケマル・アタテュルクが、この祖国解放の戦いを率いた。この独立戦争は、1923年のトルコ共和国の建国に伴い終結した。このように各勢力が争い合い、流砂のごとく忠誠が揺らぐ中、ジョシュア・コナーはハーサン少佐という真の友を見つけ、共に息子たちを探すため、戦火で荒廃した地を巡っていくのだ。

撮影秘話

『ディバイナー 戦禍に光を求めて』の物語の中で、オーストラリアが舞台となる部分は5分の1ほどにすぎないが、撮影の4分の3近くがオーストラリアで行われた。製作は、2013年12月、シドニーにおける3週間の撮影から始まった。主に、イスタンブールの宿内のシーンをスタジオセットで撮影したほか、数日間は、イスタンブールの古い町並みの中でのシーンを撮影した。その後、2014年1月および2月には、南オーストラリアで5週間の撮影が行われた。オーストラリアの田舎を舞台とするシーンの撮影をはじめ、南海岸にてガリポリのシーンのスタンドイン、砂漠に近い場所にてトルコの地方を舞台とするシーンのスタンドインを行った。真夏の暑さと予測できない天候状態の中で、撮影は困難を極めたが、この経験によって、キャストとスタッフの、ラッセル・クロウの言葉を借りると、「徹底的に挑む」決意が確固たるものとなった。製作のキース・ロジャーはこう話す。「真夏に撮影を行うことは覚悟していたが、南オーストラリアのあの地域にしては異常なほどの暑さで、誰も予期していなかったと思うよ。」「人里離れた地方で電車を撮影していた日は、気温が49.5度もあった。そんな日に撮影をするのはひと苦労だし、異常な事態だった。なにより安全を最優先したよ。それから、マクラーレンベールにある戦場や塹壕のセットでは、土砂降りの雨に降られて、撮影を中断せざるをえない日もあったよ。」

俳優イルマズ・アルドアン(ハーサン少佐)は、今回の経験をこう語る。「オーストラリアでの撮影は大変だった。1日のうちに季節が変わるみたいに、暑さ、強風、砂嵐を体験したよ。そんな天候を予想していなかったから、最初の1週間は特に大変だった。暑さ、風、嵐、雨の繰り返しさ。衣装にコートがあって幸いだったよ」。

製作のアンドリュー・メイソンはこう話す。「撮影スタッフはタフだけど、暑さにやられているメンバーがいると、その日の撮影を断念するしかない。雨が降った時も同じだ。戦場セットが撮影不可能なほど、ひどい状態になってしまう。良くない事態ではあるけど、こういう出来事は、撮影にある種の緊張感を与えてくれる」。

オーストラリアのスタッフとキャストたちは、その後トルコに渡り、3週間の撮影を行った。イスタンブールでのロケ撮影と、地中海沿岸の史跡での撮影だ。大勢のトルコ人スタッフとキャストが撮影に加わり、すぐに絆が築かれた。全員が、撮影をスムーズに進めて、記憶に残るシーンを作り上げることに力を注いだ。トルコ当局はとても協力的で、トプカプ宮殿内やバラット地区の混み合う通り、イスタンブールを象徴する美しい

キャスト陣が語る、映画と監督ラッセル・クロウ

< オルガ・キュリレンコ —アイシェ役 >オルガ・キュリレンコはこう語る。「『ディバイナー 戦禍に光を求めて』はとても美しい物語よ。この役が大好き。役作りをしている時、トルコである未亡人の方に出会った。その方は、今でも、夫の兄弟と結婚させられそうになるらしいの。でも、彼女は断っている。子供たちを守るためよ。それが彼女にとって一番大切なことだから。アイシェも同じだと気付いた。コナーは、オルハンに対する愛情を示すことで、アイシェの信頼を手に入れるの。」

映画について、また監督についてはこう話す。「ラッセルはすばらしい監督だわ。俳優だからこそだと思う。彼から指示をもらうと、言葉で理解するだけじゃなくて、感覚として感じ取ることができるの」。

< ジェイ・コートニー —シリル・ヒューズ中佐役 >役作りについて、ジェイはこう話す。「シリル・ヒューズは戦時中に多くのつらい経験をした。そして戦後、今日のガリポリの姿をつくり上げるという重大な責任を負った。今、僕たちがガリポリに行って見るのは、彼が生涯を捧げたものの姿だ。そんな大仕事に人生を捧げた男とはどんな人物だったのか、すごく興味を持った」。

「彼の性格について書物を読んだ。基本的な情報は書かれていたけど、それ以外は謎に包まれた人物だった。分かった点や脚本に書かれた状況を念頭に、ゼロから人物像を作り上げていったよ」。

ラッセルとの仕事については、こう話す。「本作の企画を知る前に、ラッセルには何度か会ったことがあった。彼が本作の脚本を準備しているという話を聞いて、興味を持ったんだ。シドニーで会って話をしたら、ラッセルも僕に興味を持ってくれた。そこから始まったんだ」。

「ラッセルとの共演シーンが多い撮影日があった。その日、これは現実なんだと改めて実感したよ。セリフを言い合っている相手はラッセル・クロウなんだと。本当にすごいことだよ。ラッセルは、自分の演技の選択をしているだけでなく、共演者の演技に合わせて対応してくれる。そのうえ、その他のあらゆる要素も考えながら、演技をしてるんだ」。

「最初の打ち合わせ時に、ラッセルに聞かれたことは、馬に乗れるかどうかだった。僕は、乗れると答えた。だけど、彼には、僕が嘘をついていると分かっていた。そして、こう言った。「俳優がよくつく2つの嘘は、馬が乗れるという嘘と、ハーモニカを吹けるという嘘だ」とね。要は、僕が役を得るうえで必要なのは乗馬の技術だけで、あとは持っている基本的な本能を生かせばいいということだった」。

< イルマズ・アルドアン —ハーサン少佐役 >イルマズはこう話す。「イスタンブールで、生徒の1人に「ラッセル・クロウから電話だ」と言われて、「どんな冗談だよ」と答えた。実際、電話で話している最中も、何かの冗談だろうと思っていたよ。映画の企画について話し合って、その3ヶ月後に、役のオファーが来た。」

イルマズは、自身でもガリポリの戦いを題材にした脚本を手掛けているだけでなく、今作の物語に強い繋がりを持っている。それは子供の頃からの繋がりだ。「ガリポリの戦いは、トルコとオーストラリアの両国にとって、とても重要な出来事だ。トルコの子供たちは7歳になると、この出来事を学ぶ。だが、オーストラリアの人々は、トルコ側の損失についてあまり知らない。それが僕には驚きだったよ。」

ハーサン少佐の役作りについて、イルマズはその人間味に焦点を当てたという。「この役を演じるにあたって、ハーサンは7万人が死んだ戦いを目の当たりにしたのだということを常に考えていた。彼は戦いを指揮して、敵を殺した。凄まじい体験さ。演じるにあたって、僕はハーサンを正当化した。僕は、映画の登場人物たちは、どんな状況においても、正当化できると考えている。現実では良くないことだけど、演技では、自分の役を正当化することは大事なんだ。」

ラッセル・クロウについては、こう話す。「ラッセルは、これが監督作10本目かのような監督ぶりだった。僕はセットで落ち着いていられないから、彼の行動を見習ったよ。ラッセルは細かい部分まで把握しているから、必要なアドバイスを的確に与えてくれる。実に完璧なシェフだ」。

完成した映画をどう思うかについては、こう答える。「言いたいことは2つ。1つは、とても良い映画だということ。そしてもう1つは、僕らにとって、とても特別な映画だということ。トルコには、ガリポリの戦いが始まるところまでを描いた映画がある。そして、今作はその戦後の物語だ。2014年は第一次世界大戦開戦100周年に当たる年だし、特にトルコで、こういった映画が観られることは、すごくいいことだと思う」。

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